なぜ悩んでしまうのか
人はなぜ悩むのでしょうか?
それは、人が肉の身体を持っているためである。
そうだよなぁ。
食べなければ生きて行けないし、寝ずに仕事したくても眠くなっちゃうから。
それにさぁ、今、景気が悪いんだ。
肉の身体を持っていれば、絶対に悩みから開放されない。
だからインドはただひたすら、座っていたりする。
水程度で生き、なるべく活動しない。
そうすれば悩みもそれ以上こない。
インドの人達も、大昔と違い、変わって来ていると思うよ。
家庭を持ったり会社に勤めたりすれば、何かしら、必ずわずらわしさが残り、家庭を持てば、必ず何かしら、そこに悩みが起こる。
だからインドでは、ただ座っている。
そうした人もいるからも知れないけど、 社会の中で生きるということは、多くの人と接することだし、自分とは考え方の違う人も、たくさんいるからね。
ただ座っているのは、日本人から見ると、怠惰な生き方だし、現実から逃避しているみたいだ。
が、この今の日本において、そんなことは許されない。
まして妻子がある身で、そんなことはできるわけない。
となれば、肉を持ちて悩むが、当然の上で生きるしかない。
その悩みは、どうすればとれるか?
それは、心がそうした悩みに、無頓着になることである。
まるで感じなくなってしまえば、たとえば「お前はアホだ、馬鹿だ」と山ほど言われても、知らん顔で生きられれば、全然悩みなどない。
それが霊的に正しければ、そうすれば良い。
そうすれば良いって言うけど、けっこう傷つくけどね。
ところが、困ったことに、人は悩みを取るために生まれて来てはいない。
もしも、小学校以来、ずっと馬鹿を決め込み、何を言われても知らん顔、ただひたすらマイペースで生きて来たら、悩みはない。
が、意識は永遠に進歩しない。
つまり、人は所詮、悩まないと上には行けない仕組みになっている。
多少の悩みはあっても、当たり前。
ないわけもなく、ないとすれば、それはすでに進化をやめている。
進化をやめれば、あとは落ちるだけ。
多かれ少なかれ、誰でも悩みがあって当然だし、無頓着になるのは決して良いことでないってことだ。
仮に、ある人がこの世に生まれて、過去の世において、殺人をしていたとする。
その時の恐怖と、ざんげと、残酷な心情、この三つがすべて潜在する心情に詰まっていたとする。
テレビで、殺人のシーンを見たら、少しよみがえった。
戦争シーンを見ても、また少しよみがえった。
そして、いつか切りつけたくなってしまう。
そうした人にとって大切なのは、そうした心情が、やがて浮きでる危険に、どう対処するかなのに…
ところが、その人は、受験や恋愛の悩みしか言わない。
それよりも何よりも、やがてその心情が、事件を起こすかも知れないというのに、誰もそれについて語らない。
やがて、東京大学をトップで合格したその人は、なぜか手を血で染めてしまい、いつの間にやら違う所にいる。
その人にとって大切なのは、受験でも、恋愛でもなかった。
おのれの心の奥をどう処理するか、それ以外のなにものでもなかった。
魔が差したとか言って、片づけられてしまうけど、実はもともと持っていた心情が、浮いて来たということだね。
また、再び生まれて、同じことを繰り返してしまったということか。
誰でも過去世はあるのだから、そうした経験や記憶を持っていて、いずれ蘇ってくるものだし、影響を受けて生きているんだ。
でも、「おっ、過去の心情が浮いてきたぞ!」なんて自分でもわからないよ。
霊魂には、そうしたことを調査できる。
大変難しいが、やれないことはない。
が、人はそれがわからないから、いちばん大切なことを放っておいて、明日の点数ばかり気にしている。
自分の顔が醜いだとか、美しいとか、明日、着て行くものばかり気にしている。
前髪が決まらないんだよね~。
思い通りにならないと、朝から気持ちが沈むけど、友達に話すと「いつもと同じだよ!」とか言われてしまう。
いちばん大切な事を話題にしたいが、そんなことは、誰も考えてくれないし、笑い飛ばしている。
人間は霊的なことが、良くわからないからね。
仮に、明日、結婚しても、あっさり離婚するのが、見えている場合がある。
その人の過去の心情が浮いてくれば、必ず夫に、グサッとくる言葉を何度もだす。
やがて、夫は、妻のそばにいたくないと思うようになる。
いや、いられない。
そこで、どうしても帰りが遅くなる。
そこで、どうしても飲み屋ばっかり足が行く。
そこで結局、離婚になる。
が、人々は真に原因を知らない。
その言葉は、はたで聞いていれば、「多少そんなことは、みんな言うじゃないか」という程度である。
が、その人の言葉の力は過去の心情を背負っており、夫の心に、あまりにも深い傷をつける。
そうした力を持っている。
それが、カルマと呼ばれる。
奥さんの言葉が、旦那さんには耐え難いほど、重くなってしまうんだね。
つまり、カルマは常々言うとおり、良いことをしたから良いことがあるとか、悪いことをしたから悪いことがあるとか、離婚をしたから良くないとか、そうしたことではない。
その心の、辛いとか、うらやましいとか、殺してやりたいとか、そういう叫びのごとし。
それが表面にのったとき、相手に対して作用してしまい、再びおのれが苦しむことになる。
それをカルマという。
カルマっていうのは、過去世で人を殺したから、今回の人生で殺されたとか、そんな単純なものではないんだ。
複雑で難しいなー。
人の運命
人間は生まれながらにして、全て決まっているの?
予測は出来るが、絶対ではない。
うまく心理をコントロールした場合、それはすぐには起きないで済む。
だから、人は過去を知らねばならないし、だから、人はカルマを知らねばならないし、だから、人は霊的なトレーニングをしなければならない。
過去の人生を知ることは、大切なことなんだね。
霊的なトレーニングというのは、心というような表面的な部分を変えるのではなく、過去世からの積み重ねである心情を、うまくコントロールしたり、解消することも出来るんだ。
じゃぁ、超能力開発だの霊能力を求めるためにトレーニングをするというのは、霊魂から言わせれば「ばかげている、何を考えているのかさっぱりわからない」って感じだよね。
にもかかわらず、人はその前提となる霊魂を、決して認めない。
そのため、延々、カルマは、いつも思想のひとつでしかない。
逮捕されたもの達が言っている通り、良いことをすれば必ず結果がでるから、自分たちの行為の結果も、必ず出ると言う。
しかし、テレビを見ている人達は、そうは思わない。
それは、一思想でしかないからである。
そして、やはり一思想でしかない。
それらは、事実に基づいていない。
良いことを悪いことと言っても、それは誰が良いことと言い、誰が悪いと言うかで変わってしまう。
善悪も社会や時代で変ったり、自分を正当化すれば良いことになるし、不利になるなら、悪いってなるからね。
カルマは、そうしたものではない。
その人の念の質である。
それがどう現れるかに、全てがかかっている。
悩みがあったら、心理相談に行くと、余計に悪くなる。
言うまでもなく、彼は心理という意味さえもわかっていない。
いまだ昔の夢分析をやって、それが正しいと信じている。
よけいに悪くなるって言うのは、ちょっと言い過ぎだよ。
だってさぁ、心理学とかいうのは、霊魂など認めてもいないし、潜在意識、深層心理とか言って手がつけられないんだ。
でも、たとえ解決しなくても、悩みを相談することにより、気分的に楽にはなるよね。
そこで、我らは言う。
後にも先にも、まず霊的事実を知れである。
それを知らないから、宗教は暴走するし、それを知らないから、人々の悩みは永遠に終わらない。
霊的な世界は実在であって、主義主張ではない。
キリスト教でもなく、仏教でもない。
宗教でもない。
科学でもない、事実だけである。
それを知ったうえで宗教をたてても良い、科学をたてても良いし、好きにすれば良いものを…
我らは、それだけを、主張したい。
霊言講演は、対話形式ではありません。
人間は、普通に生きれば悩みを伴うものです。
食べなければ生きて行けないし、一生懸命に働こうとしても眠くなる。
1円でも多く収入を取ろうとすれば、人に差をつけなければならない。
多少、ずるいことも、したくもなります。
かといって、警察に捕まりたくないし、みんなとうまくやっていきたい。
もしも、一生食べて行けるだけのお金があればどうだろう?
安心だろう。
でも悩みはなくなるのかな?
お金持ちの人教えて下さい!!
でも、たくさんのお金があっても途中で死んでしまえば、悔いが残るし、大きな恐慌になれば、ただの紙切れになってしまう。
保険に入っていても、事故に遭わない保証はない。
生きていると矛盾と不安ばかり…
そのうえ、過去世の心情も浮いてくるらしい。
困ったなー。
そうだ、霊魂に聞いてみよう!