霊能力は、霊魂との共同作業
霊能力ってなんですか?
それは一口で言うと、霊魂または霊的な何かしらが関わり、起きる能力をいう。
ゆえに霊魂を無視して霊能力もなく、霊能力がないと、霊魂も表現しにくい。
仮にも霊魂が霊言を行ない、人を用いるとなれば、人が何を考えているかによりて、情報の伝達は不可解になる。
たとえば、霊魂が何かを伝えんとしても、人の目が何かしらを捕らえ、たとえば、人の顔を捕らえたとき、こちらで伝えんとする情報が、人の口から漏れるときに変わる。
つまり、人の口は脳が作用しており、脳なしでは口は動かない。
霊魂が脳に情報を伝える時に、霊媒の目や耳から入った情報も脳に伝わるわけだから、いろんな情報が一緒に入ってきてしまうわけなんだ。
我々は、脳と口と目の関係に常に縛られており、そこに刺激が入るだけで変化する。
ゆえに、なるべく口は閉じるがよいけれども、それではかえって話しにくくもなる。
おのれのことを何も知らず、「我、霊力がある」などと言う者が多いからと思うが、霊能力の正体がいまだ明かされていない。
霊能力を行使するくらいなら、人間というものの霊的なメカニズムくらいわかっていないとだめだね。
それでは、ひとつ教える。
常に、物質の身体を見るのは物質の目であり、霊魂は物質の肉眼をもっていない。
ゆえに、霊魂は幽的身体を中心に発する光を見ている。
霊魂は人間の肉体を見ているのではなく、肉体とダブった霊的身体、幽体と幽体から発している光、オーラっていうやつ見ているんだ。
世の中では、霊視が出来ると言う人がいるけど、どんなふうに見えるのかな?
ややもすると、人は取り違えていようが、ここに霊魂が見えるという時、人の目を通して見る霊魂は、普通ではない。
そこにいて、人と見間違うことなど決してない。
霊魂は幽的な身体しか持たず、物質の身体など、はなから無いからである。
ゆえに霊能力者の霊視がいかに、あやふやかがわかる。
人は霊視、霊聴などというが、彼らは何も見ていないに近い。
なぜなら、人であれば誰でも、若干の霊感の如しはある。
年に一度ほど、正夢を見ることは誰しもあろう。
が、それでは、霊能力にはならない。
年に一度はいる霊感では、霊能力者としては立てない。
ゆえに己の意志で、何かしら技術を行使しなければならい。
ということは、いま見たいとか聞きたいとか、感じたいとかに応じて、表現し得る能力を持つしかない。
ところが、人は都合のよい時に、相談に来るやも知れぬが、霊魂はそうなるとは限らない。
今日は来ないとか、あす来るかもしれない。
霊魂も忙しい時だってあるだろうしね。
つまり、世の霊能力者の本来の姿は、かなり実力が付けば別であろうが、大多数は今日は看板を揚げるが、明日は揚げたくないとか、あさってになれば揚げるとかが、本当のところである。
しかし、人はそれでは約束とか時間があり、どうしてもその日のうちに、10人なら10人こなすことになる。
そこに、ややもするとトリックが入り、インチキもはいる。
要するに、見えなくても見えることにしないと、商売として看板を掲げたからには成り立たなくなる。
そこに、はじめ見えた方も、見えなくなる理由もある。
そうだね。霊能力を売り物にしているのなら、「今日は霊魂が来てくれませんのでダメです」なんて断ったら、「やっぱり、インチキだ!」と言われちゃうよ。
まして、テレビなどて公開実験をすれば、八割がた失敗する。
それで当然。
どんな悪環境でも、正しい霊視を得ることは、今の人では不可能である。
トリックやインチキは別として、本当の霊視はどうすると可能になるの?
なぜなら、人は物質の身体を持っており、その身体に必ず知覚がある。
目、耳、鼻、口といった知覚によってしか表現しえない。
それである以上、その知覚が、何らかの反応を脳に刺激を起こすために、環境が悪いと、必ず高貴な霊魂は来れぬ。
ゆえに、テレビなどといった雑踏の如し。
まして「お前のインチキを見抜いてやる」式の学者の如しが側にいて、常に念波の攻撃にさらされては、いうまでもなく受けきることが大変。
人であっては、無理に近い。
テレビに出演することだけでも、緊張するのに。
まして大槻教授がそばにいて、体に電極なんかつけられたら、たまらないよ。
なるべく良い環境を作り、そのうえで、後からじっくり講演をしたのちに分析するならよいが、「はなから、こいつは臭い」とか、そうした目で見つめる者が2、3人いるだけで、人は、目や耳でそれを感じ、心が苦しくなる。
それだけが脳に反応しただけでも、まず正しい霊視はない。
人がそれを求めるなら、環境をつくれである。
霊能力は、非常にデリケートである
世間では、霊能力という技術は、かなりあやふやな面があるけど?
それは、そのメカニズムを誰ひとり語らぬ為である。
「ただ、見えます」と言う。
なぜ見えるのかを、語らない。
なぜなら、語れない。
それは、知らないからである。
つまり、霊能力の初歩をマスターしたくらいで有頂天になり、テレビのごとしに立候補するためである。
それには、もう少し調べる必要がある。
たとえば、霊視ひとつにしても世の霊能力者は、「そこに霊魂が見える」とか、「心の中に映った」とか、「水晶の中に見えた」とか、中には「相手のオーラにそれが映る」とか言う者さえいる。
それらは、それぞれにそれぞれの技術の事であり、そうした技術もあろうから、一概には否定できないが、著しい欠陥がある。
たとえば「そこに見える」というなら、寸分たがわぬように見えるのか否か。
あるいは、「心に映る」というとき、それは象徴であるのか、あるいは具体的な知覚であるのか、これを確かめる必要がある。
それをしないために、皆、ミスをおこす。
霊魂は肉体がないのだから、人間に直接話しかけることはできないよね。
初歩的な霊視の方法は、どうやるの?
たとえば、心の中におじいさんらしき人を見せようとか、おばあさんらしき姿を見せようとか、あるいは二代、三代とか、数字を見せようとかする。
それは、霊能力者がしょせん人であり、人の脳と目と耳しか持っていないから、うまく伝え得ないのである。
そこで、三代前の先祖が仮に来ているなら来ているのなら、そのようにいつも信号さえ決めてあれば、例えば「三本線が見えたら三代前だよ」とか、「二本見えたら二代前だよ」だとか、霊魂は霊能力者に日ごろから練習させておき、ミスがないようにしようと考える。
縦に線が見えたら男だとか、横に線が見えたら女だとか。
つまり、霊魂は「こうすれば人がわかってくれるのではないだろうか」という段階の信号を発する。
が、霊能力者の方はそれが聞き取れないから、
「たぶん、あなたは三つ子の一人」とか、「三人兄弟ではありませんか?」と相談者に言ってしまう。
しかし、本当は間違っている。
相談者はそれを聞いたとき、こやつは間違っていると浅はかに考える。
それは、霊能力の初期においては、仕方のないミスである。
ミスをミスととらえず、これを詐欺師のごとしに扱うと、その霊能力者は、人格を壊されていく。
つまり、正しい霊能力の初歩であったが、まだ、きちんとした連絡が霊魂と本人に出来ていなかったに過ぎず、今後、伸ばせば伸びるはずであった。
人間同志でさえ、国が違えば言葉も違う。
相手に何かを伝えようとする時、言葉という約束事があるから、うまく伝わるんだ。
次元の違う霊魂が、何かを伝えるということは、まず約束事を先につくれということですね。
ところが、そうした霊能力者に限って、あやふやなことを言う。
なぜなら、すべての伝達が、印象や象徴であったりして、言葉ではないからである。
読み取れるか否かも、その日の調子になっていく。
「薄く三本影が映った」とか、「二本は判るが、一本薄い」とかいう状態が生じたとき、霊能力者はうそをつく。
つまり、「自分は、三人兄弟の末ですが、上の二人は死にました」と相談者が言ったとすれば、「たぶん、二人は霊魂になって、もう一人は今いるが影が薄く、これはあまり寿命が長くないのか」などと先入観念を持つ。
しかし、霊魂はさらに言うと、その相談者がウソをついているのではと考える。
「三人など兄弟はいないのに」と考えている。
そして、たぶんそれは、おそらく霊能力者をだますためについたウソであった。
霊能力者は「三人兄弟で、上二人が死んだ」と先に聞かされており、それを前提として、霊魂からの信号を解釈したにすぎない。
ゆえに出てきた答えは「あなたの寿命はあまりないかもしれないけど、頑張れ」であった。
無論、聞いたほうは怒る。
「こやつめ、私を脅して脅迫して、あとで大金を巻き上げるに違いない」かならずこう言う。
しかし、それは相談者をはじめとする多くの人達も、霊魂および霊能力に関する知識の無さから起きたミスである。
人は、霊能力を知らずに、ものを語る。
が、誰かが体験したうえで、そのメカニズムをひとつひとつ公表すると、後から来る霊魂を知る人も、ミスを持たなくなり、正しい霊能力を知ることになろう。
霊能力を理解することが前提
本当の霊能力を発揮には、どうすればいいの?
ちょっと、夢を見たとか、あるいは少しばかり何かわかるということでは、到底、霊能力者は、誕生し得ないのである。
もし、本当に霊能力者を誕生させたければ、ひとつひとつ関門をクリアーして行かねばならない。
学校の生徒と同じように、プロ野球の選手が、2軍から始めて1軍になるように、ひとつひとつ、まず基礎体力をつくり、それから、どうすればどんなフォームで、どうすれば玉が打てるのか、それから始めないと、正しい霊能力は一切できない。
何にでも共通することだけど、基礎的なことは特に重要だよね。
それをやらずに、技ばかり走ると本物にはなれない。
その他の霊能力というのは、どうしたものかと言えば、霊能力者つまり、人間の知覚、脳、これらを勝手に占領するということになる。
ここにそのまんま霊魂が見えるという時、人間は物質でないもの以外は、見えないように出来ているはず。
そのように出来ているのに、なぜ見えるかといえば、当然、その幽的なら幽的存在が見える目がこちらにあって、その目を最終的に肉体の脳が、きちっと認識しているということになる。
みんな初めから、見えないのが当たり前なんだ。
肉体とダブった霊的身体、幽体は幽的なものが見えている。
その幽体の知覚を、肉体の脳にきちんと伝えるということか。
なんだか複雑で難しいなー。
ここまでの技術は通常、五年や十年ではなかなか身につくものではない。
ということは、一番早いのが、我々人間の知的な感覚、全て別のものが占領してしまうことが、一番早く見えることになる。
つまり、本当に霊魂が見たければ、いわゆる完全憑依といって、全部を霊魂にあけ渡してしまう。
そうすると、見えるようになる。
これは、霊魂によっては1~2週間ですぐ行うことが出来てしまう。
エッ、そんなすぐに身についちゃうの?
じゃぁ、そっちの方が楽だよ。
しかし、完全憑依の霊能力は、どうなるかと言うと、一つの人間を二つの魂で共有することになる。
よって、自分の思い通りには、絶対ならなくなる。
そうした霊魂は、人間の霊能力者の言い分を聞くことは、100パーセントない。
あったら、どだい全部を占領するわけがないのである。
そういった霊魂は、悪い霊魂だね。
肉体をもてあそばれちゃうよ。
世の人は、あまりにも簡単に考えておるようだが、霊魂が人の身を本当に占有してしまうと、人生はまず送れない。
食事も普通に出来ない。
夜も普通に眠れん。
絶対無理。
別人が常時干渉してきて、自分の意識作用ができなくなる。
学生であれば、数学の授業に出ていても、半分自分でないのだから、まるでわからない。
会社に行って、パソコンを扱っていても、自分が気づいた時には、1行さえ打っていない。こうした状態になって行く。
それは、大変だ!
自分の意識のないところで、勝手に自分が行動することになってしまったらゾッとするね。
「霊魂がやりました」なんて言っても、誰も信用してくれないから。
よって霊能力者は、いわゆる精神病患者である。
それを知ったうえで、そうしたことにならないように、どうすればいいの?
それは、霊能力のメカニズムをもう少し知ること。
実際に初級の霊能力者で構わないが、ミスはミスと認めて、それを責めないことである。
ひとつミスをすると、やれ「こいつは詐欺師だ」では、絶対にそれ以上の能力には至ることはない。
また、それで食おうとすると、詐欺をしなければ食えん。
不適格な、まだ、そこまで行く手前の能力なのだから、やはりひとつひとつ。
「今日はこれだけわかったね」
「きょうはこれだけミスがあった」
これは、「こういう伝達のミスに違いない」とか、まわりが暖かく包んでやらないと、その人生を守ってやらないと、絶対に高級な霊能力者は、誕生し得ないといえる。
それらを全て無視して、自分ひとりの力で、霊的な能力をつかもうとすると、いわば人間でない意識力が必要である。
どんなに人に何かを言われても、絶対に動じない。
とか、人から無視されても「お前は、ちょっとおかしい」とか言われても、へっちゃらでないといけない。
そして、仕事が無くなっても、平気でいるようでないと務まらない。
「今日はご飯が食べられません」
それは、そうでしょう。
仕事に行くわけにはいかないから。
「きょうは、霊能力訓練をしなければいけない」だから仕事には行けない。
ご飯は食べられない。
家賃は払わねばならない。
となれば「まぁ、仕方がない。人が嫌がる仕事でもして、あとの20日なら20日間を、何とか飲まず食わずでやってみよう」こうした神経の持ち主しか、決して霊能力者にはなれない。
そうした現実であることを知った上で、何らかのかたちで、霊能力開発は有意義だとするなら、そうした方を二、三つくった上で、彼らの主張を確実に文字にして、分析し、ミスもあるやもしれん。
しかしミスはミスで仕方がないのだから、より高度になった時に、そのミスがそれを責めることがないように、そしてひとつの法則を見つけ出す。
そうしないと、決して霊能力開発は、人のためになることはない。
自動書記
自動書記っていう技術を訓練する人がいるけど、出来るようになるの?
自動書記訓練などと称して、鉛筆を持って「神様、書かせて下さい」とやる。
これは、そのうち書けるようになってくる。
最初は絵を書いていますけど、そのうち文字を書いたり、いろんなことが書けるようになりました。
しかし、そうした人を何人も見てきたが、全員、夜中に突然起こされる。
そして空に向かって、書いている。
そうした状況になって、誰も、日常生活をまともに送れない。
それが、自動書記練習というものの姿である。
なぜなら、霊魂が外にいて、霊媒の手にエネルギーを与えて、書かすというのは、莫大なエネルギーが必要になる。
手だけにエネルギーを与えて、横に動かそうとするなら、人間にこうした他のエネルギーによって動かそうとすると、少しでも弱く持つと離れてしまう。
少し強く持つと、動かない。
それを前提にして、操らねばならない。
霊魂も外部から、人間の肉体を動かすということは、難しいんだ。
ここまで行うというのは、大変なのである。
となるとどうするか?
やはり、人の脳に何らかに刺激を与えて、文字を書かせたくなる。
「まっすぐに書けよ」と脳に指示を与えて書けば、手は普通に、どの程度の力を入れて持てばペンが動くかぐらい、霊媒の体は覚えているから、絶対に書ける。
これが、自動書記の初歩である。
たとえば、ある霊魂が、10という数字を書かしたい。
10を書けと指示したとする。
それは、ただ脳に10という信号を与えただけなので、漢字であるとか、数字であるのかさっぱりわからない。
仮に富士山を書けといわれると、富士という漢字を書くかもしれないし、山の絵をそのまま書いてしまうこともある。
それは、普段から脳にインプットされているものである。
東京なら、東京というものを書くというとき、霊媒の知っている東京しか出てくることはない。
それが現実である。
つまり、霊魂がかかっていないからではなく、霊魂が人間の脳を使うから、必ず知っていること以外は、出て来ないことになる。
それは、詐欺でもインチキでも何でもないのである。
しかし、多くの人たちはそうした事実をまるで知らず、自分の知的レベルで、霊的な存在を判断している。
これが、間違いのもとである。
高級な霊媒現象、帰神法
今までのは、初歩的な霊能力で、レベルが高いと思わないけど。
本当の意味でのレベルの高い霊能力はどんなの?
霊魂が、霊媒の知らないこと、それをしゃべろうとすると、かなり高度で、難しい技術がいる。
つまり、人の脳の記憶に無いことを、口でしゃべらせるという、高等テクニック。
これは、一部の霊媒のように、人間の生活を台無しにしても、霊魂は入ってくる、という偏った現象を除くと、世界的に、日本にある帰神法と呼ばれる秘術だけがなし得る。
鎮魂法と呼ばれる秘術をどんどん極めていくと、霊的な身体が、高級な霊魂たちに扱うにふさわしい身体になってくる。
その時に、彼らがより高貴な霊魂が、実際の霊媒候補に作用ゆく。
そうなる、と神に帰ることになる。
神とは、人からは遠い。
人も霊的生命である以上、そうした目とも見えよう脳をもっている。
それを高く、表現し得ればそれでよい。
そのために、たとえば、より進歩した霊魂が、地上の肉を、うまく用いればどうなるか?
その肉の保持者は、必然的に知らないうちに、自分の身体が進化してしまう。
また、より高き霊魂が、本当に、その人間をうまく使えば、その思想の影響が、おのずとその幽体なら幽体、霊体なら霊体にしみ込んでくる。
つまり、その者自体が高貴になっていく。これが帰神法の秘術である。
(霊体…霊的身体には、肉体とダブった幽体とは別に、霊体という霊的身体もある。)
帰神法とは逆に、低い霊魂が作用した大変だ。
低い霊魂の影響を受けるわけでしょう。
低い霊魂の仲間入りだ。
ただ単に、「はい、鳥がかかりました」とか、「はい、牛がかかりました」とか、あらぬことを言うのは、霊媒術である。
霊媒術と、帰神法は全く異なっている。
帰神法は、神に帰る法と書く。
つまり、神がごとし幽的個性まで、成長し得るための法である。
それを用いずして、そうした能力を語るのは、無理である。
霊魂によりて、霊能力が起きるのは、突如としてではなく、長い長い魂の歴史を調査してからのみ行う。
ゆえに、突然、神がかかったにだまされてはならぬし、本人もそうなってはならない。
講演会は、質問形式ではありません。
霊能力を身につけることは、とにかく大変。
安易な霊能力開発は百害あって一利なし。
本物の霊能力をつけたいと思うなら、その基礎としての霊的身体の強化が不可欠です。
レベルが高くも低くも、自分の人生を犠牲にするくらいの気持ちがないなら、霊能力は求めない方がいいようです。