禊とは何か

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物質の世界で生きる

まちゃたま

 禊というのは、古事記に記述されているほど昔からあるようだけど、神様が生まれて来たり、読んでも意味がよくわからないし、辞書には「罪やけがれを取るため、川に入って水で洗い清めること」などと書かれているけど、それでは人間の罪やけがれって一体何でしょう?

霊魂

初めに、何やら人にはわからぬ存在があり、やがて世界が出来たといわれる。

ついには男なる者が生まれ、女なる者が生まれ、残念なことに、ヘビにだまされて楽園を追放される。

その後、人は産みの苦しみと、労働の苦しみを知る。

まちゃたま

 それは旧約聖書の『創世記』の内容だよね!

UnsplashAlabaster Coが撮影した写真
霊魂

この物語に、実は人の霊魂としての正体が隠されている。

なぜなら、仮に男と女の間に子供ができる。

さて、その子供は放っておけば、どう育つか?

まちゃたま

 もし子供に何の教育もしなかったら、社会性もなく、わがまま放題で、警察に捕まって、まともに生きて行けないよ。

霊魂

言うまでもない。

動物のごとし、猿と同じ。

なぜなら子供がいたとする。

その子供は、人に当たりちらし、他の子供がおもちゃで遊んでいると、横から取り上げてしまうし、あるいは、お菓子をひとり占めする。

さて、そこで親は、何とか教育しようとする。

しかし、何もしなかったら常に意地悪し。

欲しい物は、他の子供の頭を叩いても、自分の物にしようとする。

常に叩き、常に叩かれ、別の弱い子をまた叩く。

この子はやがて学校へ行く。

が、その時には「時間」に決められてしまう。

朝は決まった時刻に起きないと、学校へ行くことができない。

ところが、もし人が学校なる社会を持っていなければ、時間に縛られる必要はない。

何時まででも、寝ていればそれでいい。

まちゃたま

 学校というのは、現代の社会においては当たり前だけど、大昔は学校なんてなかったし、時計なんてみんなが持っているようになったのは、最近のことだし、ある意味では不自由なのかもしれないね。

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霊魂

人は、必ず学校へ行かねばならない。嫌いな勉強も、仕方なくやる。

それが義務。

その社会の仕組みに、強引にはめられる。

子供が朝起きない、夜も寝ない。

さて親はどうする?

まちゃたま

親は何とか学校に行かせたいし、夜遅くまで起きていたら、次の日は遅刻しちゃうから、最後には怒りだすよ。

霊魂

 親は必死に、社会という仕組みにはめさせようとする。

ところが、子供はどう思っているか?

「なぜ、そんな事をしなければならないのか?」ただ押し付けられていく…

つまり、人が社会を作る限り、子供はどんどんどんどん、心理、心を曇らせていく。

そうした現実があるにも関わらず、人はそれでも社会をつくる。

まちゃたま

親は小さい子供の時から「教育!教育!」って頑張ってるけど、まるで学業、勉強のみが最優先になってしまい、人間としての教育という感じではではなく、他の子供には負けたくないという競争ばかりしている感じだけど…

最近の子供は、みんな塾や習いごとで、子供ながらに結構忙しいらしいね。

自分から塾や習いごとに行きたいって、言うみたいだから。

もちろん、みんなと一緒じゃないと除け者になったり、さみしい思いをしてしまうからなのかな~?

僕が子供の時には、遊ぶので忙しかったから、そんな暇はなかったけどね。

本当は元気の良いのが、子供の証拠なんだけど、思いきり飛び回ったりできなくて、ストレスばかり、溜め込んでしまうのだろうね。

かといって、理想論ばかりでは、生きて行けないのが、難しいな~。

人の正体

霊魂

やがて、そういった社会で育った子供が大きくなり、大人になるとライバル同士となる。

会社の中で、学校で、お互いに相手を引きずり落とす。

それが競争社会というもの。

ここに来て、人は相手に事実上の「呪い」をかける。

まちゃたま

わら人形にクギを刺して、夜中に、トントンやっているわけじゃないけど、「負けたくない」とか「スキがあれば、ひきずり下ろしてやろう」そうした、敵対心による強い思いが、念となり、双方の霊的な身体である幽体を、傷つけるたりするんだ。

霊魂

 さて、3人しかスターになれない。

希望者が100人いる。

ライバルは沢山いて、当然、人より上回る努力をしなければならない。

無論、裏では足を引っ張らねばならない。

人は普通に生きると、実は「猿」と同じ。

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まちゃたま

目標に向かって努力している姿は、美しいものとされているけど、結構ドロドロしたところがあるからね。

一つのものは、他の人には取られたくないのだし、それが単に自分の欲求を満たすためだけに、他人を踏みつけたりするから、ただの虚栄心みたいなものかな?

子供というものは、生まれながらに持っているものも、当然あるだろうけど、親の教育というものが、子供に与える影響は大きいからね。

霊魂

親の教育が、こうした社会の中で「3人」になる為に必死にレールを敷き、激しい心理の曇らせ方をする。

よって、人は動物でありながら、知性を強く持ち過ぎ、自らを不幸にしている。

その最初の理由が、「アダム」と「エバ(イブ)」最初の初めにある。

なぜ、男から女が創られたというのか?

人は、まず神に似せて、男から創られた。

やがて、男から女ができた。

ところが動物の社会では、メスが出産する。

が、古伝において神は、男から女を創った。

ジェフジェイコブス ピクサベイから
まちゃたま

普通に考えれば、女性が子供を出産するけど、こういったところが、神話のよくわからない所だよね~。

霊魂

地上の社会は、動物の身体。

ところが、霊の社会は、動物になる以前である。

そうであるなら、人が動物になる前の話かもしれない。

実際には、男から女を創ったかどうかは別として、なぜ古人は、ヘビにだまされたとあるのか?

まちゃたま

人にだまされることはあっても、ヘビにだまされる人は、世の中にはいないよね。

地上においての逸話と考えるから、チンプンカンプンになってくるのかな?

霊魂

これは霊魂、霊魂なるものが、実は、人ではないからである。

それでは、「人」とは何か?

人の形をした肉体である。

猿のような身体である。

が、この猿のような身体は、100年も経たないうちに、いなくなってしまう。

誰も、残ってはいない。

順番に子孫を残していくが、本人は、常に死んでゆく。

さて、「人」はこれで終わりだろうか?

残念なことに、終わっていない。

もし仮に霊魂などなく、完全に終わりであれば話は簡単である。

霊魂を語らねば、人を語れない

まちゃたま

普通は、人生というと、物質の世界に生まれて死ぬまでを指すけど、本当はもっと長いの?

霊魂

 仮に死後の世界があるとするなら、地上が100年。

死後の世界は、いつまで続くやもしれず、千年続くかもしれない。

万年続くかもしれない。

そうなると「本当の人生はどっちだ?」ということになる。

となれば、霊魂の世界を語らないことには、本当の意味で「人」は語れないとなる。

まちゃたま

人間というのは、なかなか霊的なことを理解しにくいから、今、肉体を持ち生きている間のみをとらえているけど、地上に生まれる以前にも、自分があり、死後においても、自分が存在するなら、肉体を持って生きている期間は、ほんの一時かもしれない。

霊魂

それでは、もしもこの身体が地上で消えてしまったとして、別の世界において同じ形をしているのかどうか?

まちゃたま

だって人間は、目に映る自分しか見えないよ。

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霊魂

はたして、同じ形でいるや否や。

まちゃたま

霊的には、いま肉体とダブっている幽体という霊的身体があり、この幽体は、肉体と同じ形をしているらしいけど、それは肉体の形や機能が地上で活動しやすい、生活環境に適応した身体だから、自然とそうなっているんだよね。

霊魂

物質の世界と異なる霊的世界では、物質の食物ではない。

ということは、肉や野菜は食べられない。

とすると、胃袋や腸がいるだろうか?

さて、何にもいらなくなってしまう。

人は動物の身体を用いて、少しずつ変化してきたという。

であるなら、何もいらなくなったら、やがて、変化すると考えざるを得ない。

とすると、物質でない世界である。

「人」は人の形をしているのだろうか?

仮に月に行ったら重力がない。

さて浮かび上がる。

月でさえ、同じ物質の世界でさえ環境が違う。

さて、肉体ではない世界。

同じ環境のわけもなく、手はいるだろうか?

足はいるだろうか?

そうなると、人の形、物質の肉体、これが「昔は猿のようではなかった」とか言って、ずっと前にさかのぼり、どんどんさかのぼると「海の方から来た」とか、いろんな身体までさかのぼる。

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まちゃたま

 人間の肉体の先祖が、猿であったり、また、その先祖が、魚かもしれないし…

動物の体というのは、その環境に適応しやすい、生活しやすい身体に変化するみたいだね。

霊魂

さて、そこまでさかのぼって、今とは全然違う形をしていた。

とするなら、死後の世界で時間が経って、人の形をしている可能性は、ほぼない。

さて、霊魂の世界で、何千年も生きた。

何万年も生きるかもしれない。

地上においては、たかだか数十年。

となると、本来霊魂の身体はどっちか?

当然、いわゆる人の形ではないことになってしまう。

さて、古典の物語は言う。

「神は己に似せて、男を創られた」

まちゃたま

人間は、自分中心に物事を考えているから、神様は、きっと人間のような容姿を想像するけど、いい迷惑だね!

霊魂

男から女を創るとなれば、物質の世の話ではない。

となると、その形は一体何か?

まちゃたま

LGTB~?

これも、お猿の身体だね。

霊魂

当然、猿のごとし身体とは違う、次元の話しである。

無論、物語なので、そのまま信じる人は誰もいないが、そこにもしかしたら、霊魂達からのアドバイスや、メッセージがあるかもしれない。

とするなら、霊魂が仮に〇(マル)だったとする。

さて、〇が神に似せて創られた。

この○から別の〇ができた。

その別の〇は、ヘビにだまされた。

さて、楽園を追放されてしまった。

つまり、産みの苦しみというのが出産なので、当然物質の身体を持った苦しみ。

さて、楽園を離れ、苦しみを伴う、そういう所に行くことになった。

という時、この物語の奥にある真実は、猿のような身体が、生み出した脳の思考の結果ではないもの。

それでいながら、霊魂という巨大な意識体の一部が、表現されると…

まちゃたま

ちょっと難しいな~

創世記には、「善悪を知る木・命の木」が生えていて、神様はアダムに「これらを食べたら死ぬ」と言っておいたのに、ヘビにだまされたエバは善悪を知る木の果実を、アダムと一緒に食べてしまったとあるよね。

ということは、霊魂としての別の未熟な存在が、あえて注意を無視して、自由なる意思により、楽園という自由な世界を離れて、肉体を持つ苦しみを経験したということかな。

UnsplashRoman Wetzelが撮影した写真

人間の本質とは

霊魂

さて、「人」の本質は何か?

「人」は肉体のみではないのだから、肉の脳では理解できないことになってしまう。

肉体の脳は、動物の変化として進歩してきた。

やがてそれが進化と呼ばれてきた。

ところが、霊魂は動物の身体とは関係がない。

動物の身体の進歩によって、出来た脳などに収まるわけがない。

人間の本当の姿が、猿のようでなかったとしたら、己の正体は、人ではないことになってしまう。

では、どこに正体があるのか?

昔々、伊耶那岐(イザナギ)という神がおられたという物語がある。

さて、日本では神。

これは何か?

無論、禊(みそぎ)をした神。

まちゃたま

今度は「古事記」に出てくる、禊をして神様が生まれて来るという話しだよね。

霊魂

 なぜ禊をしたか?

霊魂の世界でけがれた。

それで禊をした。

その結果として「清く高貴な存在になった」とは、どういうことか?

もともと神なのになぜ、けがれた世界に行くのか?

そしてわざわざ汚れてきて、なぜ、禊をするのか?

もし、あの世に行って戻ってきたのなら、どんな身体で行ったのだろう。

肉体では、あの世に行けず、霊的な身体であの世に行って、また戻ってきたのなら、禊とは何か?

まちゃたま

肉体の物質的な汚れだけなら、単に川に入って洗い落せば良いけど、禊というのは、そういったことではなく、人間の霊的な部分の話しなんだから、霊的な罪やけがれを清めることが禊の意味なんだね。

霊魂

つまり、今回の集会のように、禊の次伝まで行った人がいるので、こういった会場では、少し霊的なレベルが上がってくる。

その訳は、禊が、実は己の正体。

この正体を、よみがえらせる為の技術だからといえる。

イザナギは、あの世に行って、つまり霊的な身体で、幽質という霊的な世界でけがれた。

そして、地上の肉体に入った。

が、幽体という霊的身体は汚い。

さて、そこで禊をする。

そこで、やったこと。

まず、衣服を脱いだ。

衣服を脱いだら、沢山の神様がでてきた。

が、高貴な神は、出てこない。

そして川に入って、いろいろ洗ったところ、高貴な、高貴な神が産まれた。

「天照大神とか、三神」これは何か?

禊をすると、自分でもおどろくほど、高貴な存在が出てきた。

己の分身として。

なぜなら、子供だといいながら、自分一人で産んでいる。

実は、分身ともいえる。

それが「太陽の神」であったり、「力の神」であったりしている。

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まちゃたま

禊とは、霊的な罪やけがれを清めるだけにとどまらず、自分自身の高貴な部分をも、表現してしまうんだ。

「人は神に似せて創られた」というのは、肉体的な容姿なんかじゃなくて、霊的なメカニズムのようなものか。

人間の本質的部分は、みな同じなのだから、人間誰でも、禊法を真面目に行なえば、こういったことが、可能になるということだね。

霊魂

つまり禊法における次伝というのは、自分の肉の脳になど到底はまらない、霊魂としての本質的な力。

この力を、どこまで自分の中で表現し得たかどうか?

それが次伝であった。

今回の禊法の合宿は、かなり上出来であった。

つまり初伝の段階では、まだまだ「服を脱ぐ間に汚いものがたくさん出た」このレベル。

もちろん初伝だけでも力は出るものの、次伝になると、この段階ですでに、己の中の高貴なる光、これがすでに輝き始める人がかなりいる。

まちゃたま

こんな話しを聞くと、次伝あたりに参加して、うぬぼれて、道を外してしまう人がいるけど、まだまだ次伝レベルなんだから、気をつけないといけないね。

霊魂

今回は、まだ未熟な部分。

つまり汚い部分も完璧には出し切れてはいないけれども、これは意識というものなので、物語のように単純にはいくものではない。

時間がかかるのは当然である。

しかし、良かったのは、禊によってしか出てこないといわれる高貴な光。

「天を照らす神」「力の神」「闇の支配者」それら全てを表現する。

その部分の輝きが、確実に動いた。

これは大きな成果といえる。

今回の次伝合宿で、正直ここまで行くとは思わなかった。

参加者は誰も分からないだろうが、確実に力が出てきた。

これは、人の正体といえるもの。

UnsplashConstant Loubierが撮影した写真

禊の真髄

まちゃたま

人間って不思議だね。

禊をすると、高貴な部分が出て来るんだ。

霊魂

 つまり、アダムとエバで言えばアダム。

昔は、単純に男中心であったに過ぎず、男の方が偉かった。

表現を変えれば、高級な我が、別の我を産み、別の未熟な我は、邪悪なヘビにだまされた。

その結果、人は物質の世界で、肉体を着るに至った。

が、人は禊により、未熟な部分を脱ぎ捨てた。

そして「アダム」を復活させる。

これが禊である。

まちゃたま

 神話というものは日本と西洋の違いもあるし、旧約聖書の時代は、やはり男尊女卑で、男の方が偉くて、当時の人々にとって、それが自然に馴染むし、また、倫理や道徳も、含まれていたりするでしょう。

そういった時代背景にも影響されて、語られていたりするんだね。

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霊魂

イエス・キリストは言われた。

ヨハネなる者が、「あなたこそ、聖霊を与える者にふさわしい方」と言ったが、イエスは答えた。

「あくまでも、まず自分が禊を受ける」

それは、なぜか?

どんなに高貴な魂も、肉体、動物の生殖に入ってしまったら、必ずけがれがある。

そのため、まず物質の身体に入ったことによる己のけがれを、水によって清める。

そして、やがて高貴なる師は、「聖霊による禊」を与えられた。

それが、西洋における「アダム」の復活。

これが禊である。

まちゃたま

聖書では、「バプテスマ」と呼ばれているものが、日本の「禊法」と同じなんだね。

霊魂

 日本においては、イザナギの神が、三柱の一番尊い神を産まれた。

これこそが、唯一神、至上の神が直接産むといわれる、神霊の光。

その種が、次伝ですでに現れた。

これは、何を意味しているのか?

言うまでもなく、参加者の質が高かったのか? 

あるいは、指導者の質が良かったか?

あるいは、環境が良かったか?

いずれにせよ、ピラミッドでいえば、頂点に高貴なる光が集まるとき、地上にその霊的な光が流れる。

それを受け取る時、人は物質の身体でありながら、己の正体を知る。

やがて、肉体を捨てたとき、当然、その魂の光、輝く幽体に相応しい世界へと入る。

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まちゃたま

ピラミッドというのは、地上における霊的なアンテナだよね。

それが本当の力を持つと、物質の世界において、高い霊的なエネルギーが流れるわけか。

地上で生きている間に、高貴な霊的エネルギーを受けて、幽体に力をつけると、必然的に死後は、その幽体に相応しい世界に行くんだね。

物質の世界で生きることは、霊魂としての退化

霊魂

ところがピラミッドに力がない時、人は、肉体の本性に従って生きる。

まちゃたま

霊的な輝きがないと、物質の身体である肉体に振り回されてしまうのか。

霊魂

肉体の本性は、何か?

言うまでもなく、ただの競争である。

強弱である。

弱肉強食、それが肉体の本質。

つまり原始においては、腕力が猿のような王様をつくり、臣下を従え、奴隷をつくっていく。

この王が、やがてまた交代し、没落していく。

これを何十回となく繰り返す。

現代においてはどうか?

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まちゃたま

民主的になって、みんな平等って感じだよ。

表向きはね…

霊魂

 社会は変化し、腕力というものが、段々通用しなくなった。

次は、頭、脳。

頭を盛んに使い、男でも女でも、上に立てるようになった。

これも実は、腕の力が頭の力に変化したに過ぎず、やはり強弱。

「人」は地上で肉体を持って生きるから、必ず強弱で社会をつくってきた。

これからも、同じ。

まちゃたま

大昔の親は、子供に、腕力をつける教育をしたかもしれないね。

現代の人にしてみれば、「昔は、何と野蛮な社会だったのか」と思うけど、今だって別の形の戦いをしているようだし。

受験戦争なんて言われるくらいなんだから。

その中で点数の良い人が上になって、悪い人が下になってしまうんだ。

霊魂

それは肉の本性であるし、霊魂としては未熟な部分である。

なぜなら、霊魂は強弱で上下の社会は作らない。

霊魂の世界はそれぞれ、質の高さ、それによって、相応しい者が相応しく生きているにすぎず、その差は何もない。

まちゃたま

 もし霊魂が、物質の世界に生まれることがなくて、霊魂の世界で生き続けているとしたら、そっちの方が、良かったのかもしれないね。

霊魂の世界は、食べなくても寝なくて良いし、仕事をする必要もしないし、子供も育てなくてもいいわけだから。

その分、人間同士のような争いは、ないことになるよ。

それでも、地上に生まれたことによる様々な経験や記憶、そうした思いを引きずり、霊的世界に入ることになるから、霊的世界も様変わりしちゃうんだ。

霊魂

地獄も天国も、実は己がそこに相応しいから行くに過ぎず、誰かが判断して、落としたわけでも、上げたわけでもない。

単純に、その魂と、その幽体という身体に相応しい所に、己が居やすいに過ぎず、となると、強弱の社会は地上の基準。

まちゃたま

じゃあ、えん魔様なんて、いないんだ。

ということは、今肉体とダブっている幽体の質で行くべき世界が決まるとなれば、この社会で、幽体に悪い影響ばかり与えているのなら、もうすでに、行き先が決まっているようなものだね。

霊魂

 古典にある通り、人はヘビにだまされて、強弱の世界に入ってしまった。

その為に、人は、常に人を攻撃する。

そして必ず、相手の幽体をボロボロにし、やがてみんなで不幸になる。

そして人は、人を殺し、そしてさらに恨みが強くなる。

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まちゃたま

地上に生まれて、生きるということは、霊魂としてはマイナス部分をたくさんつくってしまうわけだ。

霊魂

 親は、子供の為に、良かれと思って塾に入れて、良かれと思って、エリート学校へ進学させたのに、子供は、たくさん勉強せざるを得なく、親も当然、ついていけないと言って、こぼしている。

まちゃたま

親としては、とりあえずは、良い学校に入れば、良い仕事につける。

そうすれば、たくさんの収入が得られて、幸福になると考えるからなんだけど…

かといって、親の考えが全てではないし、子供が、親の言う通りにならないのが常だし…

こんなことで、親子が対立して、お互いの幽体を傷つけてしまったら、何にもならないよ。

社会の抑圧と過去世の心理

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霊魂

 親は、どうして良いのか分からない。

なぜか?

子供の自由や幸福の前に先に、社会があった。

人は、好んで憲法を作ってもらったのではない。

それなのに生まれた時に、もう憲法なるものがあって、義務が最初から決まっている。

社会で生きる以上、「自分は、そんな義務に従う気はない」と言っても通用しない。

先に義務があり、生まれて何の意思表示もしないのに、社会によって強引に決められてしまう。

これに、納得できるわけがない。

「信号が、赤だ!オレは赤が出る方が良いと思う」

「なぜ赤で止まる?」

「嫌だ!」

と思うが、社会はそれを許さない。

そんなことを言っていたら「牢屋に入れられて、必ず不幸になる」だから叩き込む。

親は必死に、叩き込む。

しかし、その為に、子供は激しい呪いを出す。

親に対して、社会に対して。

その呪いが当然、相手の霊魂としての身体を、ボロボロにしていく。

死ぬまでに、みんな不幸。

不幸にならない訳がない。

Image by Manfred Richter from Pixabay
まちゃたま

 親がしっかり教育しないと、猿のまんまだし、教育しようとすると、呪いを出すのでは、親としては、本当に困ってしまうね。

霊魂

 たとえば強者になったり、金持ちになったとして、仮に同じような能力があったにもかかわわらず、運が悪くて失敗した者はどう思うか?

必ずその人が、うらやましいし、ひがむ。

その人は、どうなるか?

まちゃたま

憎まれたり、恨まれたりして、幽体が傷ついたりして、霊的に不調になったりすることも考えらえる。

霊魂

 この子が親となり、子供のまた子供が親になると、「アレ?産まれた時から手が動かない。なぜなんだ!」

それは当たり前。

親が、そうした幽的な状況を、持っているから。

産まれた子供に間気もないし、当たり前でないか!

まちゃたま

間気とは、肉体と幽体という霊的身体を、結びつけるものでしょう。

親が霊的に不調であると、そうした不調が、その子供に影響すると聞いているけど。

霊魂

 じゃあ、なぜ親がそういう風になったか?

その親に、霊的な気、幽気に異常があった。

なぜか?

恨まれてたから。

当たり前ではないか!

これを仏教では、因縁などという。

霊的に見れば、当然の話。

まるで当たり前。

なぜか?

社会があるから。

まちゃたま

親も良かれと思って、教育するんだけどね。

霊魂

 親は子供が憎くて、子供に強制する訳ではない。

愛情を持って、言っているつもり。

ところが子供は、そのように受け取らない。

子供は、強引に親の言いなりにされていく。

なぜなら、中学になったら「私は作家になりたい」、「私は芸能人になりたい」と、学校は辞めてしまう。

しかし、親は、その子の将来がどうなるか、だいたい気がついている。

そう言って東京に出て来て、あげくの果てに、首を吊ることになる。

その可能性が、ずいぶん高い。

「世の中、お前が考えているほど甘くない」と思って必ず親は反対する。

そこで、子供の心は、激しく痛む。

まちゃたま

親なら、自分の子供に、才能がないと思えば、反対するよ。

霊魂

もっと激しく、痛む者もいる。

生まれる以前に、過去世があり、その過去において、親との間に、何らかの激しい衝突があった。

とすると、その時の心理が、この時とばかりに、グ~っと浮かび上がって来る。

やがて親を殺したくなる。

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まちゃたま

生まれて来る前にも、この世に生まれて、親との対立、抑圧やうっ積したものがあったりすると、その思いに一層拍車をかけてしまうんだね。

現代社会は、足の引っ張り合い

霊魂

人間は、不幸になる為に生きている。

そこで、仏教は言う。

「四苦八苦」どうやって、救われようか?

そこで、心を変えよう。

ところが、本当は心を変えても、救われない。

心は肉体の脳が、生み出したもの。

少なくとも、その脳によって、しか表現されていない。

その本質が、いかに深くても、人が脳を使わず心を表現できない。

となれば、やがては必ず肉体の限界、いつか壁に、当たってしまう。

社会が変わらないのに、心だけ変えたら、落ちこぼれてしまう。

まちゃたま

 心というのは、人間の本質的な部分ではないけれども、人間は複雑で、深い意識も心に反映してくるのだから、こういった心理を、表面的なところで抑えつけようとしても、不満は溜まる一方だし、かえって苦しくなってしまうんじゃないかな~?

食べることさえ不自由な時代なら、「欲を捨てて、現状に満足しないさい」という言葉も説得力があるかもしれないけど…

現代のような、社会の中で生きる為には、とにかく黙っていたって、税金や年金を払うのが国民の義務だし、一人で心を変えたつもりで、すましていても、世の中の流れに逆らうばかりで、生きて行けないよ。

霊魂

「受験戦争をやめなさい。心の安定を失ってまで、勉強して何になる!」

「人には、いろんな道があります。」

そう言っているうちに、就職先が一つもなくなった。

「さてどうやって、責任を取ってくれる!」

「オレは、飯を食えんぞ!」

「飯は食わねど構わん。座禅しましょう」

さて、子供ができました。

「子供にご飯をやらないと」

自分は食べなくても、良いけども。

「さて、どうしましょう?」

「出家しなさい。子供も一緒に預かります」

さて、全員出家して、誰が飯を作る!

誰が、誰が、服を作ってくれるのか!

地上の人間は、甘くない。

食を得ねば、生きられない。

その為には、社会を作らざるをえない。

その社会は、必ず強弱で出来ている。

その中で生きようと思ったら、強弱の社会で、己が負けてばっかりではいられない。

そうしたら、全員で死後は、だんだん、だんだん、ボロボロの幽体にふさわしい世界に入りやすくなる。

まちゃたま

普通に生きようとすれば、幽体はボロボロになるし、かといって社会を無視したらまともに生きられない。

であるなら、そういった現状を踏まえて、どう生きれば良いかをしっかり考えることが、現代人のテーマだね。

霊魂

原始は良かった。ただ腕力の世界だった。

下のほうに大勢でいれば、大したことはなかった。

昔は、奴隷は、一生かかっても奴隷。

どれだけ努力しても、奴隷でしかない。

身分はきちんと定まっていたし、女はどれだけ頑張っても、男にはなれない。

しかし、今は違う。

万人が平等。

万人が、権力者になる。

誰でも総理大臣になりうる。

誰でも大富豪になれる。

どんな貧乏人でも、どんな金持ちも。

まちゃたま

昔、バブルで景気が良かった頃、アメリカンドリームなんて言葉が流行ったね。

みんなで、アメリカンドリームなんて言ったって、わずかな人が勝ち得たものだったし。

Image by jamicc from Pixabay
霊魂

全員で、競争する社会。

これは、全員を地獄へ落とす社会を、作ってしまったがごとし。

昔の社会なら、ここまでの競争もなかった。

現代は違う。

生まれてから死ぬまで、他人の子供に負けてはならない。

あの人の子供だけには、絶対負けたくない。

会社においては、負ければ、即住宅ローンを払えないことを意味する。

よって、どうしても戦うしかない。

禊の意味、力を知る

霊魂

こういった社会の中では、人は気がついたら、霊魂としての光は、一つもなくなっている。

あるのは、ただヘビにだまされるような、未熟でみにくい己だけ。

それで、あの世に行って、天国へ入ろうなどと、バカな考えを持ってる者がいるから、笑ってしまう。

この状態で「神様、仏様」といくら祈ったからといって、それで天国行ける訳もなく、それで死ねば、その幽体に相応しい世界にしか、入れない。

まちゃたま

地上においての生き方がどうあれ、肉体を失えば、残るのは霊的な身体なのだから、全く異なる世界では、そこにある法則に従って生きるしかないんだよね。

本当は、お互いの幽体を、傷つけたりしないような社会になるのが理想だけど、そんなの待っていたら人生が終わってしまうし、死んでから社会のせいにしたって、幽体が健全になるわけでもなく、とにかく多くの人が、霊的真実を求めて欲しいよ。

霊魂

上の方の、いわば神々しい世界に、ボロボロの幽体で、どう入ろうにも、いわば、空気のない世界へ行って、空気がなければ、生きられない人間が、そこに行って、生きて行こうと言っているようなもの。

不可能。

自然と空気がある世界へ、行ってしまう。

そうでないと生きられない。

単にそれだけのこと。

皆、不幸になる。

それを予知したがごとく、日本の古典には、イザナギが禊をしたとある。

まちゃたま

 つまり、こうした社会になってしまうことは、だいたい予想がついていたんだね。

本当の意味で、人間が救われるために必要なのが、禊というわけだ。

霊魂

 禊を行なうと、「天の神」「力の神」こうした尊い神を産む。

この「力の神」が、やがて地上の人を救う。

妖怪を退治する。

まちゃたま

ということは、救世主なるものが、どっからかやって来て、人々を救ってくれるはずもなく、自分を救うのは、やはり自分ということだね。

でも、妖怪って誰のこと?

霊魂

 妖怪は勿論、言うまでなく人間達と、その霊魂達。

その背後で暗躍する霊魂団である。

当然のことながら。

まちゃたま

人間の霊的進歩の妨げになるような存在が、妖怪というわけか。

Image by G.C. from Pixabay
霊魂

 禊の意味が分かる時が来るまで、古伝は隠される。

それが、古典というもの。

政治家が何人集まって考えたとて、本質は、確実に表現されている。

その本質。

それが川。

なぜ川だったのか?

どうしても禊は、川でなければならなかった。

川に入る前から、汚いものをどんどん脱ぎ捨てているのに、最後はやっぱり川だった。

それは、なぜか?

そこに秘密がある。

それがわかるのは中伝。

中伝は神々の領域に入る。

今回出来が良かったので、中伝は更にレベルが上がると思われる。

気がつくと、霊魂としての力がどんどん強くなり、やがて地上の妖怪を倒す力もつくだろう。

まちゃたま

たとえば人間同士であれば、相手が見えるし、殴ったりも出来るけど、相手は霊魂なのだから手ごわいけど。

どうやって倒すのかな~?

霊魂

相手を酒で酔わせて、切ってしまう。

酒とは何か?

これも中伝の領域である。

禊法の次伝合宿において「幽の気合」をやったおかげで、幽体を流れる気が充分に、十分に駆け巡るようになっている。

これがあれば、魂は確実に進化する。

なぜなら、幽気というものが自在に流れて動くということは、肉の身体に限定されていながら、霊魂としての身体、本来の力を、呼び戻しているといえるからである。

つまり肉体を持ちながら、幽としての本来の力。

これを強くしたということを意味する。

この力があって初めて除霊もできるし、祓いも可能なのである。

まちゃたま

肉体を持った人間が、霊的トレーニングを行なうと、霊魂と対等の力を持てるようになるんだ。

霊的な力をつけないと、除霊や祓いは出来ないのだから、単なる霊感とは関係ないんだね。

ハンデを克服するための霊力

霊魂

この力がないのに、除霊したと言って、盛んに錯覚している人達はどうしようもない。

言うまでもなく、世に言う霊能力者の除霊は、本当の除霊ではないことは、今更いうまでもない。

幽的な力」これをトレーニングせずして、肉体を持たない自由な霊魂と、対等に勝負ができる訳がない。

いわば肉体を所持する人間は、よろいを着ているようなもの。

それも、手一本も動かせない程重いよろい。

相手は自由自在の身体。

相手は走り回っているのに、よろいを着ていては、少しも動けない。

これでまともに、霊魂を除霊できるなどそんな訳がない。

まちゃたま

ちまたの霊能者の中には、霊魂と話しをして説得したり、諭らせたり、霊魂を、導いてやるなんて言う人もいるけど、ちゃんと話しが通じているのか、それさえ疑問だし。

もともと霊魂から見れば、人間なんて、無知な赤ん坊のようなものだから、赤ん坊の言うことを聞くなんて思えないし、人間が霊魂をどうやって導いてあげるのか??

かなりあやしいね~

霊魂

例えば、誰かを恨んでいる霊魂がいて、人間を不幸にする為には、人間の身体の中に入っていたら出来ない。

こっちから自動車が来ている。

それに強引に当てようとするのであれば、外部から誘導するしかない。

そういう恐ろしい霊魂が、除霊する時だけ、人間の肉体内に入ってくれる訳がない。

「アホか!」

すぐに消えてしまう。

その場にいてくれる訳がない。

バカげている。

幽的な力がないとは、そういうこと。

幽力があれば、そんな事は起きない。

まちゃたま

 じゃぁ、どうすれば良いの?

Image by Nadine Doerlé from Pixabay
霊魂

もし、霊魂がそこにいなければ、側に寄れなくする対策をすれば良い。

中にもし本当に入っているのなら、追い出せばそれで良い。

が、入っていたら、そうそう悪さは出来ないものである。

霊的な不調は起きたとしても、車とぶつかることを仕掛けることは、霊魂は出来ないのである。

つまり何も知らない。

こうした輩がテレビに盛んに出るために、世の中がどんどん悪くなる。

自称霊能者が山のように出て、それに援助する悪い霊魂が、山のように地上にやってくる。

これでは、どうしようもない。

それら全てを祓う力。

それがピラミッド。

日本では、契約の山である。

霊言講演は、対話形式ではありません。

まちゃたま

禊とは行為、技法なのです。

自ら求め行なうことにより、それが真の意味での救いにつながるようです。

地上で暮らす人々の考える救いは、「病気や災難から逃れたい」というものであったり、「より生活を良くしたい」というような、自分にとって都合の良い欲求ばかりに向いているようです。

もちろん、「幸せになりたい」という思いは当然であるし、好んで不幸を求めているわけではありません。

ところが死後の世界においては、不幸を嘆く霊魂がたくさんいるようです。

その不幸は、地上の生活から始まったと言えます。

もともと霊魂でありながら、物質の世界での幸福ばかりを求めた結果なのかも知れません。

人には過去世というものがあり、何度も地上に再生しています。

今更、欲を捨ててみたり、心を正しても、大きな視点から見た自分の変化は、あまり期待することが出来ません。

唯一、こうした禊という技法が、神霊から流れる力を受けることで、人間の本質的部分に変化を与える手段のようです。

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