
哲学においては、様々な形の愛があると言われています。
自分を愛することも愛と呼びますが、ほとんどが人間のみならず、動植物も含め、他者が関わるものが一般的です。
自分では、貴い愛だと思っていても、他者がどう感じるか、受け取るかも含めて考えることになります。
そして、この世は、弱肉強食が自然の摂理です。
善悪というものが、優勝劣敗で変わってしまうこともありますし、自然淘汰(しぜんとうた)という言葉のように、環境適応や生存競争で打ち勝った者が、今生きている生物ともいえます。
こうしたことを前提にすると、愛という行為により犠牲が生まれ、便宜的なものと成り兼ねません。
それでも、愛を無くしてしまえば、無機質のような人間が思い浮かびます。
物質の世界に生きてる我々人間以外に、霊的な生命が存在するのであれば、全く異なる環境における愛は、どのようなものなのでしょうか。
神様は愛の化身とも言われていますが、高級霊の愛が、どのようなものか気になるところです。
皆さんも、愛について考えてみてはいかかでしょう。
霊魂学書籍のご紹介
たましいの救い - 人は表面の心だけで生きてはいない 水波一郎著
人は誰でも悩みや苦しみがあります。そんな時、救いという言葉が身近になります。 悩みがある時、人は友人や両親、学校の先生や先輩に相談するのかもしれません。ですが、そうした人々では、難しい相談内容であったり、あるいは、適当な相談相手がいない時、人は神様に救いを求めるのかもしれません。 いずれにしても、人々が救って欲しいのは心なのでしょう。ですが、霊魂に聞きますと、心は魂という大きな意識のほんの一部だと言うのでした。 なぜならば、人間は霊魂として、霊魂の世界で生きていた頃の心をも背負って、再び、この世に生まれているから、ということでした。今、この世で、数十年間生きた経験しかない心は、魂の全体ではないのだそうです。 では、そんな大きな意識である魂にとっての救いとは、一体、何なのでしょうか。